1778年 ライプチヒ(ドイツ)
1779年 ウィーン(オーストリア)
1783年 ハックニー(イギリス)
1784年 ローマ(イタリア)
1790年 フローニンゲン(オランダ)
1793年 トゥルネ(ベルギー)
1795年 マドリード(スペイン)
1806年 サンクト・ペテルブルク(ロシア)
1807年 コペンハーゲン(デンマーク)
1808年 ストックホルム(スウェーデン)
視力回復
1811年 イヴェルドン(スイス)
1817年 ハートフォード(アメリカ)
1823年 リスボン(ポルトガル)
1862年、江戸幕府に派遣された第一次遣欧使節一行はヨーロッパの聾学校や盲学校を視察していた。
おまとめローン
日本で最初の聾学校は、古川太四郎が1878年に設立した京都盲唖院である。ここに31名の聾唖生徒が入学し、日本の手話が誕生した。
[編集] 試練の時代
しだいに聾学校では、手話で教育する方式と、口話法という、聾児に発音を教え、相手の口の形を読み取らせる教育方式の2つの流派に分かれていった。両者は長い間論争し、対立していた。
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1880年ミラノで開かれた国際聾唖教育会議で口話法の優位性が宣言され、手話法や手話は陰の立場に追いやられていった。口話法が採られた背景には、国家強化には言語の統一から、つまり、教育の場では音声言語獲得からという思想があった。この宣言は、やがて日本にも入ってきて、日本も口話法が主流になっていった。
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この状態が長く続き、手話は教育の場で、そして社会で認められない、偏見を持たれる言語となった。しかし、手話は、聾学校内では教師の見ていないところで先輩から後輩へ伝承されていった。また、社会内ではろう者が集まる場でひそかに使われていた。
エステサロン
[編集] 手話の再評価と現状
1960年にギャローデット大学の言語学者、ウィリアム・ストーキー(William Stokoe)は『手話の構造』を発表した。これは手話は劣った言語ではなく、音声言語と変わらない、独自の文法を持つ独立言語であるという内容だった。これをきっかけにして1970年代以降、手話を言語学としての研究対象とする学者が増えた。現在では、言語学者の間で「手話が言語である」というのは常識になっている。
同時期に、当時の聴覚補償技術の限界もあり、口話法での教育の行き詰まりも各地で報告されるようになっていた。また、北欧で発生していったバイリンガルろう教育が刺激となり、手話法の見直しがなされた。現在の教育機関では程度はあれど、手話法を取り入れるところが増えている(日本聾話学校のように口話法のところもあるが、多くは口話法とも手話法とも決められない)。
また、アメリカで提唱されたろう文化(Deaf Culture)という考えがきっかけとなり、手話はろう者の言語であるということをろう者自身が認識していくようになった。
履歴書
日本においては1995年、日本テレビ系列で放映されたテレビドラマ『星の金貨』がきっかけとなって、手話の存在が広く知られるようになった。また、これ以降、「君の手がささやいている」「愛していると言ってくれ」「オレンジデイズ」など、手話話者が登場するドラマ(手話ドラマ)が増えていった。
また、東京ディズニーシーでは、ショーの中にパフォーマンスの形で手話を取り入れることがあり、ミッキーマウスやディズニーの仲間たちが歌詞に合わせて手話を披露することもある。
ヘッドハンティング
[編集] ろう教育における手話の現状
教育の場においても、1990年代後半から、手話を積極的に利用する聾学校が増えており、広島ろう学校、大阪市立ろう学校、岡崎ろう学校、三重ろう学校、大塚ろう学校、坂戸ろう学校などは特に手話法の研究に力を入れているとされる。またこれら以外の聾学校においても、以前のように手話を禁止している所はほとんどないような状況となっている。
口話法(聴覚主導法と呼ばれる)の研究に力を入れている私立日本聾話学校においても、「教育において手話は使わないが、教育以外の場で児童・生徒が手話を使うかどうかは自由である」という立場を採っている。
日本手話だけが日本の手話であると考える立場からは、日本語対応手話や中間手話が主流である現在の手話法は、手話法ではないと攻撃されている。
手話法は口話の力を重視せず、書記言語力を重視する方法であるが、現在のところ、日本で口話法(特に人工内耳など最新の補聴技術を活用した場合)に比べて手話法の方が書記言語力が伸びているという証拠は得られていない。
日本の公立ろう学校では、手話活用に熱心な教師の転勤等を期に、口話法が再び見直される動きもあるとされる[要出典]。
日本の公立ろう学校では、手話を積極的に活用する立場を取る場合も、聴覚活用を放棄するわけではない。
資産運用
[編集] 手話芸術
手話詩、手話歌、手話ダンス、手話ミュージカルなど、手話を用いた芸術も各種存在している。手話歌の起源はキリスト教や仏教の宗教行事の際、必要に迫られて考案された手話聖歌や手話讃美、手話讃仏歌などである。一方、宗教歌以外の手話歌も徐々に考案されるようになり、現在では宗教手話歌とともに世俗の手話歌も広く実践されている。
手話ダンスは現代フラやアフリカ系アメリカ人のいわゆるストリートダンス、日本舞踊など様々な舞踊の影響を受けて成立した。中でも最も有名かつ大きな影響力を持っているのはアメリカのグループ「ワイルドザッパーズ」であるが、イギリスや日本などにも様々なグループが存在している。
20世紀末にはイリノイ州立ろう学校とマクマレイ・カレッジが「ウェストサイドストーリー」を、21世紀初頭にはアメリカ西海岸のデフ・ウェスト・シアターが「ビッグ・リバー」を製作、2005年には大橋ひろえが「Call Me Hero!」を製作するなど、手話ミュージカルの実践例も増えている。
手話歌の実践にはろう者が中心になったものと、聴者が中心になったものがある。聴者が中心になった手話歌や手話コーラスの中には、ろう者から批判されるものも少なくない。
またアイスダンスのフランス代表であるイザベル・デロベルとオリビエ・ショーンフェルダーのチームは、2007−2008シーズンに手話を取り入れた実験的なプログラムをフリープログラムとして披露し、2008年3月の世界選手権で見事に優勝、世界王者となった。
[編集] その他の手話
潜水士が水中で信号を送るための「水中手話」もある(アクアラングを噛んでいる状態では喋ることができないため)。
インディアンは、他の部族とコミュニケーションする時に手話を使っていた。(シャイアンを参照)
中世の修道院では、「沈黙の戒律」というのがあった。その間、修道士は手話や指文字で会話をしていた。雑談に夢中になりすぎたため、手話も禁止になってしまう場合があった。
赤ちゃんと親がコミュニケーションするための、ベビーサインと呼ばれる手話も存在している。ただ,言語学的にはベビーサインは手話とは異なるという報告もある。
CHEMISTRYのデビュー曲『PIECES OF A DREAM』でも最後のサビ部分に手話が用いられており、ファンが覚えるという影響も少なからず存在する。
酒井法子が聾唖者の役を演じたドラマ『星の金貨』では、主題歌の碧いうさぎを手話を用いて歌った。
[編集] 参考文献
鈴木康之『手話のための言語学の常識』(全日本ろうあ連盟出版局,2001年)
小嶋栄子『手話通訳者のための国語―必携・手話通訳士試験』(クリエイツかもがわ,2005年,ISBN 4902244454)
加藤晃生「東京都における手話=音楽複合体の諸実践に見るテクストの多様性」(『音楽学』51巻3号,2006年,日本音楽学会)
[編集] 関連項目
ウィキメディア・コモンズには、手話 に関連するカテゴリがあります。聴覚障害者
手話通訳
ろう文化
山本おさむ
聾学校
手話劇
手話言語学
日本手話
手話ニュース
NHK手話ニュース
NHK手話ニュース845
NNNニュースサンデー
RABニュースレーダー(青森放送制作、手話での放送は最終金曜)
NHKみんなの手話
テレビ寺子屋(テレビ静岡制作)
ろうを生きる 難聴を生きる
目で聴くテレビ
君の手がささやいている
高村真理子
[編集] 手話の心得がある著名人
酒井法子
斉藤由貴
隆の鶴
西村知美
[編集] 脚注
^ >Karen Nakamura, Deaf In Japan:Signing and the politics of identity, Cornell University Press, 2006,pp15-16
^ 木村晴美・市田泰弘「ろう文化宣言」現代思想編集部編『ろう文化』1996年所収、金澤貴之編『聾教育の脱構築』明石書店等が代表例
^ Karen Nakamura, op.cit., pp13-14.
[編集] 外部リンク
日本手話学会
手話あいらんど
手話パフォーマンスきいろぐみ
マルチメディア手話入門
大阪の手話
手話教室
NHK みんなの手話
手話サイト
手話メソッド研究会単語検索ページ
手話バンド エンジェルズ
全国手話通訳問題研究会(全通研)
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